カズ、48歳で横浜FCと契約更新!! 今のカズを作り出したブラジル修行
キングカズこと三浦和良が横浜FCとの契約を更新し、48歳での現役続行となりました。
そんな超人的なカズですが、今のサッカー人生の基礎となっているのは、若いときに渡ったブラジルでの経験です。このブラジルでの出来事を、簡単にまとめてみました。
高校を8か月で中退し、単身ブラジルへ
「ブラジルでプロになってW杯に出る」ということを目標に、1982年12月、高
校1年生ときに高校を中退して、単身ブラジルへ。
中学時代の進路希望で志望校高校の第一志望に「ブラジル」と書き、当時の担任に
激怒されたという伝説も。
ブラジルでは、CAジュベントスへ留学。しかし当時のカズは身長が低く、テク
ニックはあったものの、その他に特に突出した能力はなく、当時の指導者たちはブラ
ジルでプロになるのは難しいと感じていた。その指導者の思惑通りブラジルで壁にぶ
つかったカズは1985年、夢をあきらめて日本に帰ることを考え始める。しかし、
そんな時期にふと酔ったリオの公園で、貧しい子供たちが裸足で一生懸命ボールを
追っている姿に触発され、帰国を思いとどまった。
念願のプロ契約
1986年1月、サンパウロ州選手権タッサ・サンパウロ(U-21)に、日本人と
して初出場し、そこでの活躍し、サンパウロ州のサントスFCとのプロ契約を勝ち取
る。5月にはSEパルメイラスと特別契約を結び、日本でのキリンカップで凱旋帰国
を果たす。
その後マツバラに移籍し、レギュラーを勝ち取る。南部三州リーグ優勝に貢献し
た。同年10月にはアラゴアス州のクルべ・ジ・レガタス・ブラジルに移籍し、ここ
でもレギュラーを勝ち取り、日本人で初めてブラジル全国選手権に出場した。
翌年、サンパウロ州のキンゼ・デ・ジャウーへ移籍。同年3月19日、コリンチャ
ンス戦で日本人としてリーグ戦初得点を記録し、格上の人気チーム相手に3-2で勝利
した。このときの試合はブラジル全土にテレビ中継されていたために、カズという日
本人の名前が広く知れ渡った。この年の活躍により、カズはジャウー市から名誉市民
賞を贈られた。
その翌年にはパラナ州のコリチーバFCに移籍し、パラナ州選手権優勝に貢献した。
強豪サントスFCでレギュラー獲得
1990年2月、4年ぶりにサントスFCへ移籍した。4年前はわずか2試合の出
場に終わっていたが、この4年間で成長したカズは、見事にレギュラーを獲得した。
同年の4月29日のパルメイラス戦で1得点1アシストと活躍し、翌日のブラジル新
聞はスポーツ紙から一般紙に至るまでカズの活躍を伝えた。このカズのゴールシーン
は、ブラジルのサッカー専門誌「プラカー」の表紙を飾った。
その後の活躍
その後、W杯に出場するという当初の目標を叶えるためには日本でプレーするのが
望ましいと考え、1990年7月に当時の日本サッカーリーグの読売サッカークラブ
(現東京ヴェルディの前身)に移籍した。
その後、Jリーグ初代MVPに始まり、日本人最年長ゴール記録、Jリーグ連続得
点記録、シドニーFCの一員としてFIFAクラブ世界選手権に日本人で初めて出場
したこと、フットサルの日本代表としてW杯に出場したことなどなど、、、数々の伝
説を残してきましたが、皮肉にもサッカー人として一番の目標であった「サッカーの
W杯に出場する」ということだけは果たされていません。もしかしたら次回W杯最年
長出場記録を作るかも??しかし残念ながらこちらはあまり現実味がありませんが、
個人的に期待していることは、カズの息子のW杯出場です。息子も父と同じくサッ
カーをやっているそうで、長男は短期ながらブラジルへサッカー留学もしたとのこ
と。現在あまりサッカー選手としては話題になってはいませんが、もしかしたら10
年後には日本代表となり父の因縁を晴らしてくれるかも?
何はともあれ、カズにはこれからも現役を続けてもらい、伝説を作り続けてほしい
ですね。ちなみに、イングランドには32年から65年までプロでプレーし、50歳で引退
したマシューズという選手がいるようなので、カズにもここを目指して頑張ってほし
いですね。