かつての高校サッカーのスター、平山相太は今どうしてるの? 平山相太の現在
第93回全国高校サッカー選手権大会が開催されていて、連日熱戦が繰り広げられて
います。私はあまりサッカーには詳しくないのですが、高校生の1プレー1プレーにか
ける熱意がテレビからも伝わり、非常に多くのパワーをもらっています。
ただ、素人の私からすると、今年は”将来の日本サッカーを背負う”と言われるような
スター選手がいないのではないでしょうか?もちろん、玄人の方から見れば、将来代
表に入るような選手はいるのかもしれませんが、素人でもわかる=マスコミから騒が
れるような選手はいないように思います。
私が一番印象に残っているのは、素人でも知っている強豪校、国見高校で活躍した
190㎝の長身フォワード、平山相太選手です。当時は今以上に高校サッカーを見る
ことはありませんでしたが、連日のようにゴールを挙げてマスコミから騒がれていた
ことから、彼が出場する試合だけは見ていました。むしろ、このことがきっかけで、
高校サッカーを見るようになったといっても過言ではありませんでした。
ところで、そのかつて高校サッカー界を騒がせた平山選手って今一体どうしている
のでしょうか?私は日本のサッカーは代表戦か高校サッカーしか見ませんが、少なく
ともA代表では見たことがないような気がします。オリンピックかなんかでは見た記
憶はありますが、、、
そこで今回は、かつての高校サッカーのスター、平山相太選手が今どこでプレーし
ているのか、もしくは引退して違う何かをしているのかを、高校卒業後の経歴を追っ
て、簡単にまとめてみました。
筑波大学へ進学
高校卒業を前に、Jリーグだけでなくヨーロッパのクラブからもオファーが来ていたが、恩師小嶺のアドバイスもあり、全てのオファーを断って2004年4月からの筑波大学への進学を決断。
史上最年少の19歳2ヶ月でアテネオリンピックに出場
飛び級でU-23日本代表としても代表に呼ばれ続け、同年2月8日の国際親善試合・U-23イラン戦で初先発し初得点を挙げる。その活躍もあり、競技史上最年少でオリンピックのメンバーに選ばれる。ただ、出場時間は初戦の16分間のみに終わった。
オランダ1部・ヘラクレス・アルメロに入団
2005年6月には、自身2度目のワールドユースに主力メンバーとして出場し、開催国のオランダ戦で1得点を挙げる。
この大会終了後の同年7月、オランダリーグ・フェイエノールトの練習生として短期留学。翌8月にこのシーズンから1部入りしたヘラクレス・アルメロに3年契約で入団することが決まり、筑波大学を休学することになった。
しかし、このオランダリーグ入団には問題があった。実はこれより前に大学に在学しながらJリーグの試合にも出場できる特別指定選手の制度を活用して磐田に加わることになっており、ここで磐田は制度の申請などで平山のためにいろいろ優遇して準備してくれていたが、平山は磐田に何の相談もなくオランダのフェイエノールトの練習に参加、さらにオランダのヘラクレスに入団していたのである。
1年目でいきなり8得点の活躍
途中出場が多い中、デビュー戦で2ゴールを挙げるなど、チーム最多の8得点を記録。2006年1月27日、FIFAが選出する「ベスト・ヤング・プレーヤー・オブ・ワールドカップ2006」にノミネート。4月30日には、サッカーに専念するため、休学中であった筑波大を自主退学。プロサッカー選手としての活動に専念することとなった。
スター街道からの転落
1年目で結果を残した平山であったが、監督交代による出場機会の減少や、チームに馴染めないことから、日本へ帰国。その後、現在までFC東京に所属し続けているが、技術力のなさ、メンタルの弱さ等からなかなかレギュラーを確保できず。しまいには主力として何年も前から期待され続けていた北京オリンピックのメンバーからも漏れてしまう。
ただ、途中から少し下がったところでプレーするスタイルに変えたところ、徐々にチームから必要とされる存在に。しかし、そのころから故障しがちになり、なかなか満足なシーズンを遅れていないようだ。
2014年シーズンも、好調を維持していたが、相手選手のタックルにより足首を骨折し、戦線離脱してしまったそうだ
このように、かつてのスターも相当苦悩な人生を歩んでいるようですね。いや、で
も冷静に考えたら、10年以上もプロとしてプレーできているのだから、それだけで
すごいことですよね。”将来を背負う選手”としては物足りなさも感じますが、この世界
でしっかりと生き残るのは、並大抵のことではありませんね。まだまだ若いですし、
これからの活躍次第では代表に呼ばれることもゼロではないのではないでしょうか?
今後の平山選手の活躍に期待したいです。