読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

暇人の暇人による暇人のためのつぶやき

思い立ったことをただただつぶやきます

学歴主義採用は正しい

 最近の世の中の流れから、このタイトルを見ただけで嫌悪感を示す人も多いだろう。しかし安心して欲しい。この記事は決して学歴の高くない就活生を絶望の淵へ追いやるものではない。むしろ、「学歴主義はおかしい」と自分の今までの努力の少なさ(もしくは間違った方向へ向かった努力)を棚に上げ、しっかりと努力をしてきた高学歴者を妬むだけの「真の低学歴者」への救いの手を伸べるものであるからだ。

※ちなみに、筆者は決して高学歴者ではない

 

企業が新卒採用をする目的

 まず、企業が新卒を採用する目的を考えてみる。企業は今までせいぜいバイトや留学、インターンくらいしかやってこなかった学生に、入社してすぐ結果を出すことなど考えないだろう。中にはそのような企業もあるだろが、そのような企業はおそらく余程余裕のない企業で、そもそも高学歴の人は集まらないだろうから、今回の命題とはあまり関係がないといえる。通常のまともな企業は、入社して数ヶ月みっちりと研修をし、その後OJT等で数ヶ月みっちりと鍛えてから徐々に結果を求め始めてくるだろう。

 そう考えると、企業が新卒採用をする目的は、

将来的に社に利益をもたらしてくれる人材を採ること

 であるといえるだろう。

 

将来的に社に利益をもたらしてくれる人材とは?

 それでは、将来的に社に利益をもたらしてくれる人材とは、一体どのような人材なのだろうか?「将来的に」ということに焦点を当てると、次の2点が挙げられるだろう。

 

・努力できる人材

・どのような環境にも適応できる人材

 

 当たり前といえば当たり前だが、採用担当者は、短い採用活動期間のうちに、これらの条件を満たす人材を探さなくてはならないのだ。

 

学歴とは?

 続いて、今回の命題でもある「学歴」に焦点を当ててみる。

 まず、企業側から「学歴」とは一体どのようなものなのか?

 

① 努力できる能力を示す道具

 まじめに受験勉強をしてきた人ならわかると思うが、偏差値を1上げる為には、莫大な努力をしなくてはならない。その偏差値は、上になればなるほど上がりにくくなり、更なる努力をしなくてはならない。更に、高学歴を得られた人材は、その努力してあげた偏差値を本番で発揮する為の努力もできているといえる。仮に学生生活を遊び惚けていたとしても、いざとなれば最低でもこの学校に入れるだけの努力ができる人材であるということを、学歴は示している。つまり学歴とは、努力できる能力を客観的に示す道具なのである。

 

② 思考能力の深さを示す道具

 またしてもまじめに受験勉強をしてきた人ならわかると思うが、学校の偏差値が高くなるにつれて、試験問題も難しくなってくる。この難しさとは何なのか?それは、思考の深さである。偏差値の低い学校の問題は、主に知識を問う問題が多く、その知識を暗記していれば正解できる問題が出題されることが多い。だが、偏差値の高い学校になるにつれて、徐々に知識を覚えるだけでは解けない問題が増えてくる。偏差値の高い学校の問題は、知識を覚えていることを前提として、その知識をあらゆる角度から捕らえ、どのように用いるかを問われるのである。つまり、思考能力の深さが問われるのである。高学歴の人材は、この能力においても、低学歴の人材に勝っているといえる。

 

③ 過ごしてきた環境

 大学内では当然、同じ大学の人間と過ごすことが多い。性格はそれぞれ違えど、先ほど挙げた二つの能力は、多少の差はあれど、ほぼ同等の集まりである。

 ところで、高校野球の話になるが、甲子園で優勝することを目的として全国から野球エリートが集まったチームと、ただなんとなく高校野球がやりたいという人が集まったチーム、2年後にはどちらが強くなっているでしょうか?

 つまり、普段の何気ないキャンパスライフ内でも、学歴の高低で、能力として差がついてしまうのである。

 

 

高学歴者は人間性が悪い?

 よく、学歴の高くない人材から、

「学歴で人間が決まる訳ではない。一番重要なのは、人間性だ」

との声が聞かれる。確かにごもっともだ。しかしこの発言、読み取り方によれば、

高学歴=人間性が悪い

とも読み取れる。確かに、高学歴の人の中には、自分の学歴の高さを鼻にかけて、学歴の低い人間に自慢する嫌なやつもいる。しかし、そんな人間ほんの一部だ。ほんの一部の人間性の悪い高学歴者を見て、「高学歴者=人間性が悪い」等と結論付けることは、決して賢い考え方ではない。むしろ、そのような思考自体が、人の凄さを素直に認められない人間性の悪い人間である。高学歴者にも低学歴者にも、人間性の悪いやつがいれば、人間性の良い人もいる。学歴と人間性の関連性など、全くないのである。

 

より有益な採用活動をする為に

 採用活動に話を戻す。先ほども述べたが、企業が新卒採用をする目的は、「将来的に社に利益をもたらしてくれる人材を採ること」であり、「将来的に社に利益をもたらしてくれる人材」とは、「努力できる人材」かつ「どのような環境にも適応できる人材」である。

 しかし、そのような人材を採用するのは、容易ではない。特に人気企業ともなると、採用担当者10人程度で、数千~数万人もの応募を受け付けなくてはならない。そのような莫大な人数一人ひとりとじっくり面接をすることなど到底無理であり、面接する人材を選ばなくてはならない。そのようなことで最近、一次審査として、エントリーシートによる書類審査を行っているが、たった10人程度で数万枚のエントリーシートをじっくりと読むことなど到底無理である。そこで、より効率よく優良な人材を得る為に行う方法が、世の批判の的となっている、「学歴フィルター」である。この方法は、まずはエントリーシートの経歴部分のみを読み、ある一定以上の学歴を満たしてなければ、エントリーシートすら読まずに不採用とする方法である。(特別な資格保有者、体育会系等は学歴の条件を満たさなくてもフィルターを潜り抜ける可能性はある)一見、あまりに非情な行為にも思われるが、採用側からすれば優良な人材を採る可能性を上げる為の、非情に合理的な手段である。もちろん、低学歴者の中にも、高学歴者も叶わないくらいの非常に優秀な人材はいるだろう。しかし、優秀な人材がいる可能性という面では、低学歴の中から探すよりも、高学歴から探したほうが可能性は高いのである。

 たとえば、あなたが一攫千金を狙って金の採掘を始めようとする。その際、選択肢として、「南アフリカの鉱山を採掘すること」と「日本の海岸沿いの崖」を採掘することのいずれかしかないとする。あなたはどちらを採掘しますか?

 先ほども述べたが、高学歴者は、その学校名だけですでに「努力ができ深い思考ができる」人材であるということを客観的に示しているのである。学歴フィルターをかけることは、たった10人程度で数万人もの中から「金を採掘」しなければならない採用担当者にとって、非常に合理的な方法なのである。

 

低学歴者は人気企業には入れないのか?

 これまでの記述から、結局は学歴のない人は人気企業に入社することはできないという風に思われるかも知れない。ただ、道は狭いが、決して不可能ではない。方法は単純だ。自分自身が、「崖」から「鉱山」に移住すればよいのである。つまり、学歴以外で、「自分は努力できる人材であるということを客観的に示せる道具」を作ればよいのである。たとえば、TOEICで900点以上を取る、ものすごく難関な国家資格を取る(あまりに受験する企業と関係のない資格だと、資格の内容について無駄に突っ込まれ、墓穴を掘る結果になることも)、何らかの全国大会、世界大会に出場する等々、、

本番で体調を崩した、家庭の事情で塾に通えなかった、等々、様々な言い訳が出てくるかも知れないが、結局は学歴は、自分の努力の証である為、今ある学歴が世間から見た自分の能力なのである。もしそれに納得できないのなら、他の方法で自分の能力を世間に示してやればいい。それができないなら、もう学歴云々を言う資格はない。

 

エントリーシートを突破すれば実力勝負

 晴れてエントリーシートを突破すれば、グループワーク、面接が待っているわけだが、ここまでくればあとは実力勝負。仮に落とされたとしても、決して学歴のせいにしてはならない。

 ところで、グループワークや面接では、何が求められるのか?それは、「将来的に社に利益をもたらしてくれる人材」の二つ目の条件である、「適応力」である。グループワークでは、突如出されたお題に対して、初対面同士のグループで解決に向けた行動を起こさなくてはならない。面接においても、事前に面接官が言われたい「かゆい部分」をホームページ、説明会、OB訪問等で探り当て、それを適切に表現するという、企業の見えないお題に対する「適応力」が求められる。この「適応力」には、低学歴の人が口癖の様に言う「人間性」も含まれる。

 たとえば、企業の調査をし、この企業は「活発な人材が欲しい」ということが判明したとする。その場合、面接においてもハキハキと受け答えをし、自分の「活発なエピソード」をうまく表現し、「活発な人間性」をアピールすればよい。真の人間性など、たった数回の面接で把握しきれないことなど面接官側も百も承知である。

 

まとめ

 長くなってしまったが、最後に今回のまとめ

・ 学歴は「努力できる能力」や「思考能力の深さ」を客観的に示す道具である。

・ 学歴フィルターを用いた採用活動は、企業側にとって非常に合理的な方法である。

・ 学歴の低い人は、学歴の高い人を妬む前に、何らかの方法で「客観的に能力を示せる道具」をつくるべき。