カラオケという拷問
私にとって、カラオケとは拷問である。
なぜなら、私は生粋の音痴だからである。
おそらく、某バラエティ番組の歌下手王決定戦に出れるレベルである。
事実、この番組を見ていても、一切笑うことはできない。
ただ、別に私は歌うことが嫌いなわけではない。
むしろ一人でいるときは、スマホのカラオケができるアプリで2,3時間歌いこむほどの歌好きである。
それでは、カラオケの何が拷問なのか?
それは、私が歌うことで、周りに妙な気を使わせることである。
気心知れた友人とカラオケに行く際は、私が歌うと、「下手くそ!」だの、「音痴!」だのいろいろといじってくれる。
それにより、その場も笑いが起こり、非常に良い雰囲気になる。
ただ問題は、あまり気ごころを知れていない人と行くときである。
その場合、まず初めは、私が音痴であるといった前知識が周りには皆無である。
そのため、曲を入れて、イントロが流れている時点では、周りもそこそこ乗ってくれている。
ただ、いざ最初のフレーズを歌いだすと、一気にその場の空気が変わる。
周りは、さも何かいけないものを聞いたかのごとく、一斉に黙りだす。
そのまま大爆笑へと移ってくれればいいものの、何か笑ったらいけないのではないかと妙に気を使ってくれて、今この場に流れている音声は存在しないものであると自分自身に言い聞かせているかのごとく、一斉に次の曲選びをしたり、携帯をいじりだしたりし始める。
ごくたまに心優しいしずかちゃん的存在の子が、必死にタンバリンやマラカスを振ってくれるが、その振っている態度とは裏腹に、表情はどこかひきつっている。
そんなこんなで歌い続けていると、最大の試練がやってくる。
それは、サビである。
私はあまりマニアックな歌を聞く方ではないので、カラオケでも比較的知名度の高い曲を歌う。
そのため、当然そのサビは、同じ場にいる人たちにも知れ渡っている。
意外とAメロBメロなら結構コアなファンでなくてははっきりと覚えていないものであるが、サビは大多数がはっきりと覚えている。
そのため、より私の奇跡的な音痴が際立ってしまうのである。
そんなこんなで、いよいよサビがやってきた。
最初のフレーズを歌いだした途端、周りは一斉に下を向き始める。
頑張ってマラカスを振っていたしずかちゃんは、半ばやけになってノリノリになり始め、自らも歌いだす。
笑いたいなら笑ってくれ!
笑っても別に黒い全身タイツの男が出てきてハリセンで思いっきり尻を叩くようなことはしないから!
さあ!!
とか思っているうちに、サビも終わり、2番へ突入。
2番になると、周りも免疫がついてきたのか、何食わぬ顔で携帯をいじることができている。
しずかちゃんはというと、さすがに疲れたのか、マラカスを置き、体で軽くリズムをとりながら、次の曲を選び出す。
そんなこんなで2番も歌い終え、地獄の5分間に終止符が打たれると、周りからは妙に大げさな拍手が。
これはきっと、5分間笑わずに堪えた自分自身への拍手なのであろう。
その後は、私が曲を入れる番が近づいてきたなあってときは、わざとトイレに行ったり、ドリンクを取りに行ったり。。。
周りも空気を読んで、無理やり歌わせようとはせず。
あーーーーーカラオケ!!!
あーーーーーカラオケ!!!
こちらとしては、音痴は自覚しているのだから、思いっきり笑ってほしいところですが、こちらを気付つけてはいけないと思い、必死に耐えているのでしょうね。
日本人はみんな親切で優しい!
でもその優しさがつらい!!
そんな、どうでもいいくだらない心の叫びでしたとさ。
めでたしめでたし。