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今話題の「お坊さん便」について考えてみる

 最近テレビやネットでも話題となっている「お坊さん便」。無宗派で特別お寺との付き合いもない筆者にとっては非常に画期的な商品であると思うが、宗教行為は商品ではないなどといった意見もあり、この「お坊さん便」については賛否両論である。

 

 

お坊さん便とは?

 

・株式会社みんれびが扱っているサービスで、自宅・お墓などに出向き法事法要(読径・法話)を行う僧侶を手配する。

・最近、アマゾンでの販売を開始し、より手軽にサービスが利用できるようになったことから、何かと話題に挙がりはじめた。

 

メリット

 

・明確な料金形態。(基本的な法事法要は一律3万5千円)

・お車代、お膳料、心つけ等も不要

菩提寺との付き合いのない人でも、手軽に利用可能

・地方の貧しいお寺のお坊さんの仕事になる

 

デメリット

 

・お布施は宗教行為に対する対価ではない為、料金を一律に決めることはおかしい

・付き合いのないお坊さんが来る為、形式的な法事法要となってしまう

 

 

ネットでの意見

 

・料金について

 

 

・お布施は「お気持ちで」というが、実際には法要に坊さんが来て早々請求書のような紙を渡され、お坊さん便の10倍以上の額を請求された!金額は一律であるべき

 

 「お気持ち」という割には、こちらの「お気持ち」を一切無視しているような気が、、、

 

・借金をしてでもお布施を払えといわれた。

 

 身内が無くなり不幸なところ、さらに借金までしなくてはならないとは、、、

 お坊さんは本来、身内が無くなり不幸な気持ちになっている親族を慰めるものでは?

 

・たとえどんな高額でも、請求されたら断れない

 

 たしかに、生きている以上誰もがわからない領域である「死」という世界に対して、(実際知っているかどうかは定かではないが)その領域に精通している風の坊さんに「これだけの額を払わなくてはしっかりと供養することはできない」等といわれたら、払わざるを得ない気持ちになってしまいますね。

 

 

今挙げたのは、「お坊さん便」に対して好意的な意見で、今までの不明瞭な日本の法要の料金形態に対して多くの疑問を抱いていたことが伺えます。これだけを見ると、お寺は人の弱みに付け込んで多額の金を巻き上げるただの詐欺集団の様に思われてしまいますが、中には従来のお寺制度に好意的な意見を持っている人もいます。

 

 

・本当にお金が無いときに、1万円で戒名までつけてくれた

 

 お布施は「お気持ち」であるということをしっかりと体現していますね。たとえ1万円でも、この人にとっては現状支払いできる最大限の金額であり、しっかりと「お気持ち」が含まれております。

 

・ネットでこのような価格をつけてしまうと、お布施の最低額が決まってしまう

 

 この意見の投稿者も、以前お金が無いときにものすごく少額(金額は伏せてありますが)で父の法要を行ってもらったそうです。本来あるべき良いお寺(「お気持ち」ということばを体現しているお寺)との付き合いのある人にとっては、この「お坊さん便」の明瞭性にはあまり魅力は感じないのかも知れないですね。

 

 

 

・そのほかの意見

 

 

・特定のお寺との付き合いが無いので、何かあったときすぐに手軽に呼べて便利!

 

 核家族化が進み、代々菩提寺を引き継いでいくという慣習が薄まってきたこの時代、このような意見の方が増えてきているのではないでしょうか?

 

・昔から付き合いのある僧侶の仕事ぶりがあまりにもひどかった為、お坊さん便を利用したところ、金額的にも仕事的にも比べ物にならないくらいよい法事となった

 

 金額面はまだしも、仕事ぶりまで負けてしまっては、、、、

 

・地方の貧しいお寺のお坊さんに仕事が!

 

 お坊さんはたいてい人の弱みに付け込み金を巻き上げ、そのお金で非常に贅沢な暮らしぶりをしているように思われますが、実は地方の小さいお寺のお坊さんは、中々仕事が無く、中には「お坊さん」だけでは食べていけない人もいるそうです。この「お坊さん便」は、そんなお坊さん達に仕事を与え、生活を支えるという点でも貢献しているようです。

 

・金儲けだけの悪質な寺を排除できる!

 

 この「お坊さん便」がアマゾンで取り扱われてからの日本仏教会のあわてぶりはものすごいものがあります。日本仏教会いわく、「お布施は宗教行為への対価ではない。そのため、商品化し、定額化することは日本の宗教を荒廃させる」とのようなことを言っているようです。一見ごもっともな意見の様にも聞こえますが、実際はお布施の額を明瞭にされることにより、今までの様に「お気持ち」というあいまいな表現で多額の金を巻き上げることが難しくなることへの危機感に過ぎないようにも思われます。

 

 

 

 

 

 宗教に疎い筆者にとっては、死後の世界は結局フィクションであり、どんなにお偉いお坊さんが法事法要を行ったところで、死んだ人の運命等代わらないと考えます。結局このような宗教行為は、取り残された遺族の気持ちを慰めることだけが目的と考えます。そのような点から考えると、昔から付き合いがあるからといって弱みに付け込み多額の費用を請求する僧侶は論外として、この「お坊さん便」で派遣されてくる見ず知らずの僧侶に宗教行為を行ってもらうことも正直疑問を感じます。理想論を挙げると、昔から付き合いがあり、本当に良い仕事をしてくれて心を慰めてくれる僧侶に、相手からは一切金額を請求されずに、「これだけのことをやって頂いたのだからこれだけの金額をお布施としてお支払いしよう」と心から思えるような関係が本来の宗教行為のあり方ではないのだろうか?と宗教に疎い筆者なりに考えました。

 ただ、実際はそのような関係を築けている人等少ないだろうし、身内に不幸があれば形式的に法事は行わなくてはならないということから考えると、僧侶の質はこちらからは選べないので、金額面から「お坊さん便」を使うことがベターな選択と個人的には思います。