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暇人の暇人による暇人のためのつぶやき

思い立ったことをただただつぶやきます

かつて15歳でプロ入りし、将来を有望視されていた元阪神、辻本賢人の現在

 2004年、若干15歳で阪神にドラフト8位で指名され、将来を有望視された辻

本賢人投手。その当時は15歳ながら140キロを超える直球を投げ、将来は日本を

しょって立つ存在になると誰もが信じていたが、最近では全く名前を聞かなくなって

しまった。辻本投手は今いったい何をしているのか、彼の生い立ちから調べてみた。

 

 

 辻本賢人(つじもとけんと)

 1989年1月6日生まれ(実は田中将大前田健太と同世代)

 兵庫県、芦屋市出身

 ボーイズリーグでは、兵庫尼崎に所属し、エースとしてジャイアンツカップ3位入賞。

 中学1年時に単身アメリカにわたり、ネブラスカ州オハマのチームで全米大会に出場。

 

 2004年8月にカリフォルニア州のマタデーハイスクールで日本の義務教育に当たる9

年生課程修了。同年秋のドラフトで、阪神タイガースに8巡目で指名され入団。15歳で

の指名はドラフト史上最年少だった。

 

 2005年はウエスタン・リーグで5試合に登板したが、2006年は身体作りなどの基礎固めに専念させる首脳陣の意向で実戦登板の機会はなかった。

 

 同学年の選手が高卒でプロ入りした2007年は二軍で9試合に登板し、防御率3.24を記録。

 

 2008年は二軍で11試合に登板して防御率3.65. 同年オフに保留選手名簿から外れて育

成選手契約となった。

 

 2009年はキャンプ前に第5腰椎を疲労骨折したこともあって二軍でも登板機会がな

く、10月1日に球団から戦力外通告を受け、10月30日自由契約公示された。合同トライ

アウトではスカウト陣から「球が遅すぎる」「フォームがバラバラ」など厳しい指摘

を受けた。

 

 その後プレーする場を求めて2010年4月、アメリカの独立リーグ・ゴールデンベース

ボールリーグのトライアウトに参加した。そこで阪神時代を超える最速146kmを記

録。同リーグのマウイ・イカイカからドラフト1位指名を受け入団した。同年のシーズ

ンでは、腕の位置をサイドスロー気味に下げたフォームに変えたことで、球速が

151kmまでアップし、主に中継ぎ投手としてプレーした。シーズン後半では、勝ち試

合で起用されるようになった。

 

 2011年2月7日、ニューヨーク・メッツからマイナー契約のオファーがあったと報道

され、3月3日にメッツとマイナー契約を結んだ。

 

 しかしその後の2013年5月、ニューヨーク・メッツを解雇された。

 

 現在は諸説ありますが、父親が取締役を務めている会社で働いているといった意見

が最有力なようです。

 

 しかし今さらながら、普通にどこかの強豪校の野球部に入り、甲子園を目指してい

たら、どうなっていたのか、非常に気になりますね。この世代の甲子園での主役は、

ハンカチ王子でしたが、もしかしたらそれを上回る活躍をし、勢力図を変えていた可

能性もあったのかもしれませんね。

 

 この辻本選手の例からわかるように、選手を成長させるためには、責任感ある中で

プレーをし続けることが必要であるようですね。田中将大前田健太などは、中学時

代から実力はあったものの、おそらくその時点での実力では、辻本には及ばなかった

と思います。(田中にいたっては捕手だった)それが、高校でエースとして、自分が

しっかり投げなくては勝てないという責任ある立場でプレーし続けることにより、ぐ

んぐんと成長し、彼らがプロ入りしたころには辻本は彼らの足元にも及ばないほどに

まで実力差がついてしまいました。彼らが高校でもまれているときに、辻本はプロの

中で責任感の全くないところで英才教育を受けていたので、それはあたりまえのこと

ですね。やはり、どんなに才能があっても、責任感のある環境でプレーをしなくて

は、その才能は開花しないのでしょう。

 

 今さら言っても仕方のないことですが、日本をしょって立っていたはずの選手が一

人失われたことが、個人的には非常に残念で仕方がないです。


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