答案用紙に中国を”支那”と書いたら不正解に!! そもそも”支那”ってなんで差別用語なの?
今、とある高校生のツイートがネット上でひそかに話題になっている。その内容は、
「テストの答案に”中国”を”支那”と書いたら不正解にされた」
といった内容である。その件に対して担当の教諭に直接抗議した際は、
と言われたという。そこで、その少年は答案画像をツイッターで公開し、拡散を呼びかけた結果、炎上した。
少年は”支那”の正当性について、「支那ソバ」、「支那竹」、「東シナ海」といった表記が一般に使用されていること、中国の英語表記は「China」であることなどを挙げた。 また、正式名称でなければならないというのなら、「オランダ」や「イギリス」といった日本語表記も不当であるということにならないかと、少年は主張する。
自身の通学先も公開し、「必ず丸にさせます。もう成績は付いてますが関係ありません。訂正されることに意味があるのですから」と宣言した。
この少年のアカウントが炎上していることからわかるように、今回の題材、”支那の正当性”については、非常に議論の余地がありそうな題材だと思います。この”支那”という呼称については、我々は今までしっかりと教わることもなく、ただ何となく中国に対する蔑称であるといったことしか教わってきていませんが、そもそもどうしてこの”支那”という呼称が差別に当たるのか。調べてみました。
支那とは?
支那とは、中国(おおむね現在の中華人民共和国にあたる地域)の通時的呼称。
「シナ」の語源は諸説あるが、支那史上最初の統一帝国「秦」から来ているとされている説が有力であるとされている。日本にも、仏典を通じてこの名称が伝えられ江戸時代にしだいに普及し、明治時代にも引き継がれた。
”シナ”という呼び方は、現在も欧米諸国から”china"と呼ばれていることからわかるように、外国人が”中国”のことを呼ぶ際の呼称として一般的に用いられている。
ただ、問題は、この”シナ”という呼称を日本が戦時中に中国人を侮蔑するための蔑称として用いていたことあるとされている。当時、日本政府は、「中華民国(中国)」というその時期の正式国号を無視し、ことさら「シナ」、「シナ人」などと呼んで、中国と中国人をさげすむ態度をとっていた。これは、中国侵略戦争のさい唱えられた「膺懲(ようちょう)支那」(「支那を懲罰せよ」)などというスローガンに端的に示されている。
このようなことから、中国国民は日本人から”支那”と呼ばれることに対して拒絶反応を起こしており、中国人に対する差別用語とされている。
”支那”は蔑称ではない?
また語源の話から入るが、「シナ」の語源は支那史上最初の統一帝国「秦」から来ている。この「チン」(秦)がインド(サンス クリット語)に伝わり、「チーナ」(Cina)・「ティン」(Thin)となり、更にヨーロッパへ伝わり、「シーヌ」(Chine 仏語)・「チャイナ」(China 英語)と変化していった。
そして、戦前の日本で広く使用された「支那」もこれと同様で、梵語(サンスクリット語)の「チーナ」がインドの仏典と 一緒に支那に逆輸入されたもので支那人自身が「支那」・「脂那」と表記したのが起源である。
つまり、支那側が侮蔑用語としている「支那」の表記は、支那自身が編み出したもので、日本人は中世以来終戦までそれを借用していたに過ぎないのである。
また、今回話題となった少年が言うように、日本人が使用していた「支那」が侮蔑用語だというならば、「シーヌ」も「チャイナ」も侮蔑用語となる訳で(語源は全て同じなのだから)、支那が自国の英語表記を「People's Republic of China」(支那人民共和国)とする事自体矛盾しているのである。
むしろ”中華人民共和国”という呼称が周辺国に対する差別?
支那の現国名「中華人民共和国」の「中華」だ、この中の「華」とは古代支那の王朝「夏」が起源で、「中夏」とも書かれていた。
そして、「中国」・「中華」の「中」とは、「世界 の中心」を意味しており、「中華」とは、「世界の中心である夏(華)」と言った意味である。
そして、この「中国」・「中華」とは裏を返せば、支那周辺の国々は「野蛮で非文化的な未開な地」と言う意味も込められている。
これが「中華思想」と呼ばれるもので、支那の周辺国は方角によって、東夷・西戎・南蛮・北狄と呼ばれた。
勿論、日本も例外ではない。「邪馬台国」や「女王卑弥呼」で有名な「魏志倭人伝」も、正式には「魏志東夷伝倭人条」と言う。
つまり元来、日本人が支那の事を「中国」と呼ぶ のは大義名分からしても不自然な訳で、支那側が自国の呼称としている「中国」及び「中華」は、逆の意味で「支那」以上に侮蔑用語なのである。
今回調べて思ったことは、”差別”とは結局のところ、受け取る人が植えつけられている感情の問題であるのではないかということです。
中国人が”シナ”という言葉に過剰に反応するのも、小さいころから学校や家庭で植えつけられた”シナ”という言葉に対する悪い感情から由来するものであるのでしょう。
逆に我々日本人の中で、”中国”という言葉を聞いて、私たちが侮蔑されていると怒る人があまりいないのも、このことに対する悪い感情を植えつける環境があまりなかったからではないでしょうか。
私も、尖閣問題での軋轢が一番ひどい時期に中国語もわからずに1か月程中国に滞在していましたが、その際に、夜外をあるいていると、「ツァオニマ!」とよく言われましたが、その時は何を言われているのかも全く分からず、何とも感じませんでした。(のちにそれが中国語で一番汚い相手を侮蔑する言葉と知ったときは、怒りをかんじました)
つまり私が言いたいことは、その言葉自体の語源がどうであれ、その言葉に対して悪い感情を持っている人に対しては、その言葉を使わなければいいのではないかということです。いくら”シナ”という言葉が差別用語でなくても、その言葉を中国人が嫌がるなら言わなければいいし、逆に中国という言葉が日本人に対する差別の意味を含んでいたとしても、それを聞いて日本人が何とも思わないなら別に問題にする必要もない。
つまり、相手が嫌がることは言わなければいいという、小さいころから言われ続けたことを実行すればいいだけではないか?と私は思います。
今回話題になった高校生の少年も、”支那”が元来差別用語ではないといった主張は正しいのかもしれません。ただし、その言葉によって中国人が嫌な気持ちになるということは、その時点でそれは実質上の”差別用語”であるのです。
これからの日本は、いかに中国と上手く関わっていくかということも一つの課題となっていきます。その第一歩として、まずは”中国人の感情”を理解して、嫌がることを言わないということから始めるべきではないでしょうか。